俋俋乎耕而不顧(ちつちつことして耕して顧みず)

タイトルは荘子から借りました。論理学と東洋思想を比較しながら、科学、芸術、スポーツについて日頃感じたこと、考えたことを書いていきたいと思います。

センスとアート(2)

我々は対象物を見て、それを様々な言葉に写し取る。

 

芸術であれ、スポーツであれ、科学であれ、現実世界で世界で実績を残している人は皆、対象物の本質と言うか、ありのままを捉えるのが上手い。そして時には言葉に表しきれなくなってしまう。

 

自分の本職は自然科学である。自然科学は論理を使っは自然を記述する。芸術家やアスリートは技術を使って現実と対峙する。対象物をありのままに、本質を、捉えることができないと一流になれない。

 

対象物のありのままの姿、物事の本質を捉える力を“センス”、論理や技術と物事の本質とを結びつけ力を“アート”と自分は呼んでいる。

 

一流の科学者は芸術家でもある(アインシュタイン

 

荘子、外編には斉の桓公と輪職人の扁の話が書かれている。

斉の桓公がある時、堂の上で書物を読んでいると、輪扁が車の輪を作っていた。輪扁が「殿様のお読みなのは、どんな言葉ですか」と問いかけると「聖人の言葉だよ」と返す桓公。「それなら殿様の読まれているのは古人の残り滓ですね」と輪扁。申し開きを迫る桓公に輪扁が答えるには「私めは自分の仕事の経験に照らして考えているのです。車の作り方にはコツがあり、口では説明することができない。それ故、そのコツを自分の子供に伝えることができない」と言うのである。